
ごあいさつ
「地域づくりの実践者」を志し、52歳で浜田市役所を退職したのが令和3年3月のこと。同年10月に皆さまのご支援をいただき、浜田市議会議員として活動を始めてから、早4年が経ちます。
この4年間、私は市政に対する一般質問の多くを「防災」の視点から行ってきました。なぜなら、防災は単なる災害対策ではなく、地域のコミュニティはもとより、福祉、教育、産業といったあらゆる分野と深くつながっているからです。防災を入り口として、その出口に「地域づくり」があると考えたからです。
活動当初、「地域づくりの実践者」として直接的な行動を意識してきました。しかし、私の活動に大きな転機が訪れたのは、2023年の一年をかけて市民が中心となって行った「三隅氏発祥800年〜未来へつなごう 郷土の誇り〜」の活動です。 このプロジェクトは、「三隅の歴史を学び、未来へ繋がる何かを残したい」という市民の熱い想いから始まりました。 市民だけでなく、行政や企業、様々な団体が一体となってこの活動を支え、私はここで「助け合い、力を合わせれば、何でもできる」ということを心から学びました。
これは、まさに防災における「自助」「共助」「公助」の理念そのものです。この学びは、防災に限らず、あらゆる行政施策、ひいてはこれからの地域づくりに不可欠な視点だと確信しました. 人口減少という避けられない課題を抱える今、一人が何役も担うことには限界があります。 これからは、行政(公助)がやるべきこと、地域や団体、企業(共助)にできること、そして私たち一人ひとり(自助)がどのように関わるかを考え、同じ目的のために力を合わせることと、私たちと浜田市が、相手の立場や違いを尊重し、一人ひとりが当事者意識を持ち、責任や役割分担を明確にすることが何よりも大切だと考えています。
浜田市議会議員 村木勝也
村木勝也について
| 誕生日 | 1968(昭和43)年4月12日 |
| 血液型 | A型 |
| 趣味 | 舞台鑑賞、DVD観賞、草刈り |
| 尊敬する人物 | 村木高市じいさん<村木家をつなげる配慮、思い>[勝太→高市→勝利→勝也] 松平康定(まつだいら やすさだ) < 石見国浜田藩主 / 松井松平家7代 >[藩校の設立] |
| 好きな言葉 | こだまでしょうか、いいえ、誰でも。<金子みすゞさんの詩の一節> |
| 好きな音楽 | 甲斐バンド、サザンオールスターズ、Lily |
| 長所 | 協調性がある |
| 短所 | 行列が待てない |
経歴
| 昭和56年3月 | 三隅南小学校卒業 |
| 昭和59年3月 | 三隅中学卒業 ・野球部に所属 |
| 昭和62年3月 | 島根県立浜田高等学校 普通科卒業 (38期) ・硬式野球部に所属 |
| 昭和63年4月 | 三隅町役場入庁 ・総務、農林、人事、法令、バス対策 ・選挙、消防防災 |
| 平成17年10月 | 浜田市合併 ・消防本部、防災・防犯・生涯学習・行革 ・公民会・図書館・社会体育 |
| 令和3年3月 | 浜田市役所退職 (33年間勤務) |
| 令和3年10月 | 浜田市議会議員 初当選 1期 (会派:山水海) |
主な議員活動
| 議会運営委員会 | 委員 |
| 議会広報広聴委員会 | 副委員長 |
| 産業建設委員会 | 委員 |
| 浜田市議会子どもの権利を考える議員連盟 | 委員 |
| 浜田市議会石見神楽振興議員連盟 | 理事 |
| 会派「山水海」 | 事務局長 |
地域の役員等
| 浜田市消防団 | 西部方面隊三隅分団河内矢原班長 |
| 日本防災士会島根県支部 | 副支部長 |
| 三隅町河内自治会 | 事務局長 |
| 三隅地区まちづくり推進協議会 | 環境育成部長 |
| 島根県軟式野球連盟 | 理事 |
| 浜田市野球連盟 | 事務局長兼審判員 |
| 石央地区中学校野球大会実行委員会 | 事務局 |
| 浜田高校硬式野球部OB会 | 副会長 |
| 島根県立浜田高等学校同窓会 | 第38期卒業生代表 |
| 三隅小児童クラブ運営委員会 | 運営委員 |
| 自民党三隅支部 | 事務局長 |
| 県議会議員岡本淳後援会三隅支部 | 事務局長 |
| 河内地区農地保全検討委員会 | 西方寺原代表 |
| 専正寺 | 総代 |
| Lilyはまだ縁じょいねっと | 事務局 |
後援会事務所
- 所在地:
島根県浜田市三隅町河内874-10 - E-Mail:
chu-tatu@iwamicatv.jp - 電話
090-1682-9110